宴のあとは次のステージへ

先代のお父様、お母様は本家としての役目をその風習に則り、永年にわたり正月、お盆、冠婚葬祭を
この二間続きの和室で分家である兄弟家族達をもてなした。
三連の座卓にはご馳走が並び、お酒が入れば民謡や詩吟の唄が聴こえ出す。
子供たちは世代を越えてかるたやトランプに興じ、笑いあうといった実に賑やかで楽しいものだった。
陽も落ちれば流行り始めた8ミリ映写機で親戚が旅行した記録の上映会が行われた。
昭和の頃、本家といわれるお宅でごく普通に見られた情景であった。


あれから30年、親戚も各々の家庭が成長し、代替わりと共にこの二間続きの和室の役目も終えた。
今度は永年、本家の役目を務めたYさんご家族の為の部屋として、次なる幸せのステージを迎えるのである。

 

この家はお母様にとってもかけがえの無い家。
二十歳で嫁がれてきて先代と二人三脚で建てたこの家には思い出がいっぱい。
床柱は所有する山から大きな太い杉の木を兄弟で担いで運び、皮を剥ぎ、磨いた。
欄間は職人さんが腕によりをかけた。
玄関の敷石は先代が自身で埋けたもの。
これらお母様の思い出をそのままにもっと暖かく、明るく、使いやすく、落ち着いた環境へと進化させた。



和室の良いところをふんだんに生かす。
部屋の中に木の柱や木の天井を使うと心が和む。それが和室の良さである。
室内に使われる木というのは化粧を施してあるというのをご存知であろうか。
育てる過程で「枝打ち」をして製材した際に節が出ないようにしている。
柱や敷居、鴨居、縁甲板の床には節が無いのはそのためだ。
手間隙をかけた無節の木だけに高価である。
現代に同じ仕上げにしようとすると高値の花である。
今ある財産(リアルヴィンテージ)を上手に生かし、その先の和室を目指した。

 

背筋が伸びる「座」の生活も良いが、日常は「腰掛ける」生活のほうが負担が少ない。
一部屋は板の間にしてソファーを置き、大切なゲストをもてなす空間にした。
残りの一部屋にはお母様が慣れ親しんだ畳を残し、腰掛けられるように掘りコタツにした。


家主と共に味わい深い歳のとり方をする家が自然だと思う。
子供を育て上げる頃になると母親は和装に興味を持ち出すことが多くなるという。
年相応の装いを自然と身に着けたくなるものだろう。
和服でお茶やお菓子を頂く、お花を生けるのに相応しいそんな上質な空間は五感に心地よい。

 

二間続きであったが双方を襖で仕切られ、外部との間には広縁があった為に、部屋が暗く、寒かった。
大柄なご主人にとって低い鴨居は潜り抜ける必要があったので、
今度は鴨居を高くし、戸襖から障子に変更して透過性を良くし、明るい空間へとした。
欄間も高くした。障子欄間があった場所は市松模様のガラスをはめ込んだ。
明るさを確保しながら懐かしさをかもし出している。
これらの処理で部屋が寒くならないように、床に断熱材を敷き込み、窓は断熱ペアガラスサッシュへと変更した。

 

日本家屋の場合、畳の部屋は通常、板の間から敷居の高さの分だけ30~40mmは上がるもの。
年配にはこの少しの段差が毎日、厳しい。さりげなくバリアフリーも心がけ、床を剥がした際に畳の部屋でもフラットになるように
敷居を下げて既存建具にも修正を施した。見た目には判らないように。
お母様だけはすぐに気づいて喜んでくださったのが嬉しかった。

 

夏の暑い日にはエアコンを稼動させるが和室にあの白い四角い筺体が馴染まないので、
趣が必要な一台は壁の中に埋め込み、小判型の噴出しをつけて対処した。

 

玄関脇の和室を主寝室にした。
年齢を重ねると寝起きは布団よりベットのが楽に出来る。
なので今回はベットを置くのだが、ベットルーム=洋室ということにはしたくなかった。
ヴィンテージリゾートホテルの草分けである箱根宮ノ下「冨士屋ホテル」にみられるような
和と洋の調和を図った空間づくりを意識した。
床を板の間にし、壁に珪藻土を塗り、天井は板張りのままとした。

 

寝室~玄関間は小窓を設けて寝室から玄関の様子がそれとなく伺えるようにした。

 

玄関ホールは機能的向上を図った。
日本家屋は玄関床とホールの床までの高さがある。
途中に式台という板を加えてステップが低くなるようにした。

 

ベンチを設けてお母様の靴の脱ぎ履きを楽にした。
下駄箱から玄関収納に付け替えて大容量にした。

古い和風はとかく敬遠されがちでリフォーム時には白い四角い部屋に
されてしまうことが多いのだが、歳を重ねてくると、和風もいいものだ。
いや、和風がいいのだ
と再認識させて頂いた事案である。

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 


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